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釧路地方裁判所 昭和37年(わ)79号 判決 1963年6月01日

被告人 佐々木千松

昭三・一二・七生 漁船甲板員

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、

被告人は、さけ・ますはえ繩漁船咸陽丸(約三九トン)に乗組む甲板員であるが、同僚下館薫(当時二六年)の性格が陽気で同僚間に人気があるのに反し自己が無口で社交的でないので同人および乗組員から嫌われるものと思い、その報復として右下館の過去の非行を同船漁撈長に告げ口したことから右下館から海中に投じられて殺害されるものと思い込み、同人の機先を制するため右下館を殺害しようと決意し、昭和三七年五月一九日午前七時三〇分頃、根室市納沙布岬東方約五一五浬の太平洋上の右咸陽丸左舷側ガンネル内において、魚具の整理をしていた同人の前方から刃渡約一八糎の出刃庖丁をもつて、その前頸部および左胸部に切りつけ、よつて即時同所において同人を左頸動脈切断による失血のため死亡するに至らせ、もつてその目的を遂げたものである。

というのである。

よつて、審理判断するに、司法警察員および検察官作成の各検証調書・桑野鉄四郎作成の鑑定書・押収してある出刃庖丁一丁(昭和三七年押第四七号の一)第一、二回公判調書中の被告人の供述部分・鈴木春喜・佐々木健治・秋山勝蔵の司法警察員(鈴木の分二通・佐々木の分一通・秋山の分三通)および検察官に対する各供述調書・佐々木健治の司法巡査に対する供述調書一通・証人尾崎一美・同外城宮吉・同外城宰・同宮崎公男に対する裁判所の各尋問調書・被告人の司法警察員(三通)および検察官(二通)に対する各供述調書を総合すれば、被告人が右記載のとおりの犯行をなしたことは認めることができる。

しかし、鈴木春喜・佐々木健治・佐々木利春の司法警察員(いずれも昭和三七年五月二三日付)に対する各供述調書・証人尾崎一美・同外城宮吉・同外城宰・同宮崎公男に対する裁判所の各尋問調書を総合して認められる右咸陽丸が北海道釧路港を出港した昭和三七年五月四日以後本件犯行の日である同月一九日午前七時三〇分頃に至るまでの同船内における客観的状況及び同期間内における、被告人自身の右客観的状況に対する認識内容と、被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書、鑑定人清水幸彦・同石橋俊実の各鑑定書・第五回、第六回公判調書中の鑑定人清水幸彦の各供述部分を総合すれば、被告人は、本件犯行当時、精神分裂病の急性期症に罹患していて、右分裂病に起因する幻覚、妄想状況に陥り、前記下館薫が被告人を海中に投じ殺害するという被害妄想に支配され、事前に策を講じなければ、被告人自身が殺害されるという妄想にかられて本件犯行におよんだものであつて、被告人は当時事理を弁識しその弁識に従つて行為する能力を喪失した状態にあつたものと認めることができる。

然らば、被告人の本件犯行は刑法第三九条第一項に、いわゆる心神喪失の状態下に為されたものと断ぜざるを得ない。

なお、検察官は、(一)被告人が本件犯行の着手前に、殺害行為は悪いことだと一瞬躊躇したものであること(二)被告人が本件犯行直後、右咸陽丸のブリツジに上り、同船通信長宮崎公男に対して海上保安部を呼ぶように依頼し、自ら同船を操舵したこと、等の事実をもつて、法律上は、被告人が本件犯行当時心神喪失の状態にあつたものとすることは相当でなく心神耗弱の状態にあつたものであると主張し、前掲証拠によれば右(一)(二)の事実が認められるけれども、(一)第六回公判調書中の鑑定人清水幸彦の供述部分によれば、被告人が本件犯行着手直前、一瞬その実行を躊躇したことが直ちに事態を正しく認識する能力の有無に結びつくものではないこと、(二)鑑定人清水幸彦の鑑定書によれば、被告人は前記精神分裂病に起因する被害妄想の支配下に、前記(二)のような行為をしたことが、それぞれ認められるところであり、かつ、被告人の当公判廷における態度を観察しても、被告人は現在に至るも引続き精神分裂病に罹患しているものと認められるし、その他本件に顕れた各証拠を総合しても前記認定に支障を来すものでないので検察官の右主張は採用しない。

よつて、刑事訴訟法第三三六条前段に則り、被告人に対しては無罪の言渡をすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 柏原允 西村清治 鳥飼英助)

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